会社の強み | 私たちの特徴(バリュー)
機械に“愛”を届けます
日々自社のために稼働し
お金を 生み出して くれる 大切 な機械のために、愛情の こもった 手入れをして末永く
稼働し続けて欲しい、そんな 人たちのために仕事をしたいという創業者の思いから、『機械に”愛”を届けます』
という我々のポリシーは生まれました。機械は人と同じ。決まった 稼働 時間にその人に合った食事(給油)
が取れなかったり 、 あるいは 愛情が上手く伝えられないでいるうちに、いつの間にか調子が悪くなり壊れて
しまう、そんなことが起きないように、下記の3つの特徴で皆様を支援させて頂いております。
1.
オイル・グリースのプロ フェッショナルである
オイル・グリースのプロフェッショナルであるということが弊社の最大の特徴です。誰も知らないような細
かい知識を豊富に持ちあわせています。潤滑油・グリースは油ですので燃料商社様が販売されることが多い
ですが、弊社は燃料は取扱わず潤滑油のみで 53 年間営業しております。潤滑油・グリースの内容成分の知
識は当然のことながら、使用される機械設備に関してもトラブル解決の事例や知識・経験を幅広く持ってお
ります。そのため燃料商社様や様々な工具・機械販売商社様、更には潤滑油同業者様からも「ローヤルなら
どんな提案 をするのか?」と相談されることもございます。
2.
10,000 種類 の 幅広い商品の「目利き力」
潤滑に関するメーカーであれば1社のメーカーに捉われることなく幅広く取り扱っております。1口に潤滑
油・グリースと言っても弊社が扱うだけで 10,000 種類もの商品がございます。どのメーカーにも得手不得
手があり、弊社としては各社が得意としている商品を提案することで、完璧とは言えませんが幅広い商品の
「目利き力」を持ち合わせていると考えています。
3.
必要な分だけ小分けして少量販売
オイル・グリースをその時に必要な分だけ小分けして少量販売することに注力しています。オイルは
20L ペ
ール缶、グリースは 16kg ペール缶 が最小荷姿になっていることが多くあります。購入した設備の取扱説明
書には 0.1kg のグリースを半年に1回給油して下さい、という 指示があることも往々にしてあり、もしその
グリースを1個の設備にしか使用しない場合、 16kg 缶で購入すると余る、古くなる、ごみが混入してしまう、
という問題が発生し、廃棄するとなるとグリースの場合は産業廃棄物となりお金をかけて新品を捨てるとい
うことが起きます。それを防ぐために、弊社ではグリース用の 400g ジャバラ容器 添付のジャバラカタログ
の 1 枚目写真参照 にグリースを詰替えて、できる限りの種類を1本ずつ販売するサービスを行っておりま
す。 |
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仕事のやりがい | オイル・グリース関連商品を幅広く扱っているうえ、お客様が保有される機械設備の知識もないと上手な提案ができませんので覚えることが多いのですが、提案がうまくいった時は最高の喜びを感じることができるのが魅力です。「渡邉さんに提案していただいた商品で機械の調子が良くなったよ」と言われると本当に嬉しくなります。また、自動車や機械に関連する商品で新エネルギーの柱である風力発電機、バイオマス発電への販売実績が伸びており新しい分野へ自由に挑戦可能です。更に近年はアジア圏を中心に輸出販売が増えており英語を試用したお仕事も増えてきています。
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従業員の特徴 | 20代1人、30代3人、40代5人と若い世代が多くアットホームな職場で土日祝日は全てお休みと働きやすい印象を感じてもらえます。全員潤滑油知識ゼロから始めていますが毎朝勉強会をみんなでするので心配不要、過去20年間離職者2名のみと途中退職者がほぼいません。 |
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会社の雰囲気 | 2021年7月完成の綺麗な新社屋で働いています。社内はアットホームな雰囲気で和気あいあいと働いています。2009年から15年連続増収増益、現在は国内外に約5,500社のお客様がいて潤滑油に関連する経験と知識は日本一の自信があります。是非、一度ご来社下さい! |
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その他 | 創業者である先代は大学卒業後に大手の音響メーカーに入社し、忙しいながらも多くの仲間に囲まれて東京都内で充実した社会人生活を送っていました。勤務5年目のある時、父親から「長男なのだから地元に帰ってきて何かで独立しなさい」と言われ、前職を退職して帰郷します。
昔は漁師の町だったいわき市四倉町で、父親がとある燃料商社の支店長だったことが理由で燃料のお客さんである漁師さん達に、ENEOSや出光と言った有名企業とは全く異なる無名メーカーの船舶用エンジンオイルを販売することでローヤル油機を創業しました。 現在は漁船はほとんどいなくなり船舶用エンジンオイル販売は行っておりませんが、当時はたくさん漁船が港に停泊していて毎日のように漁から戻ってきた漁師さんたち目掛けて営業活動を行っていました。
そんな毎日の中で行っていたオイル代金の集金の作業中、「今日は漁船が壊れて漁に出ていないからお金は払えない。来月また来い。」と言われて途方にくれることもあったそうです。そんなことがまだまかり通る時代でした。そういったことを繰り返しているうちに、たくさんいる漁師さんの中には漁船の機械類の手入れを普段から入念に行っていて毎日エンジン全開で漁に出ている方と、普段から細かい手入れを続けるのは面倒臭くてやりたくない、と手入れをあまりしない方がいるということに気がついていきます。
そんなある日、とある秀でた同い年の漁師の方に出会います。その方はとても機械を大事にされる方で自分の漁船の隅々まで仕組みを熟知しており、その方にエンジンオイルの営業をしたところ、そんなにオイルを買って欲しいならまずはエンジンルームの中に入って中がどうなっているのか見てみろ、と言われてふんどし一つで真っ黒になりながら入り込み、エンジンの構造や仕組みを良く教えてもらったそうです。それから毎日のように通ってエンジンオイルの交換作業を請け負ったり新しい商品を提案したりしてその方の役に立とうとしつつ、エンジンは音や振動、発熱でオイル交換が必要な時期を見極める、などとても大事な機械知識の基礎を学び、「機械は人と同じようなものだ」と強く思い始めます。
その同い年の漁師の方は、創業者が出会ってから十数年後に不運にも病魔に襲われ、遠洋漁業で北海道の沖合いに出たまま帰らぬ人となりました。息子である私はお会いすることはできませんでしたが、今で言う東洋経済やプレジデントのような当時のハイクラス職の方が好むような経済紙を愛読する、優秀でかつ愛のあるとても良い人だったと創業者は話していました。
「機械は人と同じようなものだ」
決まった時間にその人に合った食事が取れない(オイル交換できない)まま、休みも睡眠も取ることもなく(停止時間が一切ない)動き続けているうちに、いつの間にか調子が悪くなって病気になってしまう(故障が発生する)。そんなことが起きないように、愛着を持って大事な機械の手入れをするあの漁師の方の考え方を残し、広めていくことが自分に課された使命なのではないか。そんな想いから 「機械に“愛”を届けます」の言葉は生まれました。 機械が故障して必要なものが必要な人のもとに届かない、そんなことが起きないように潤滑油のプロフェショナルとして我々と一緒に、機械に“愛”を届けましょう。
もっと知りたい方は
福島民報が運営する ”はたらくを、もっと。”「ダシマス福島」に掲載されている下記URLの記事をご覧ください。
https://fukushima.dashimasu.com/posts/detail/loyal-satou |
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